トップページに戻る
  少年リスト   映画リスト(邦題順)   映画リスト(国別・原題)  映画リスト(年代順)

Pokhoronite menya za plintusom 僕が死んだら幅木の裏に

ロシア映画 (2009)

1970年代、ソビエト共産主義時代のモスクワを舞台にした、パヴェル・サナエフのベストセラーの映画化〔映画の中では、1983年になっている〕。8才の病弱な孫を、サーシャ・ドラビーチコ(Sasha Drobitko)が、怪物的な祖母をスヴェトラナ・クリュチコーヴァ(Svetlana Kryuchkova)が演じている。原作は、パヴェル・サナエフの自伝的要素が高く、祖母の溺愛が嵩じて、母や世間とも一切隔離され、半ば児童虐待に近い状態で過ごした少年が、最終的に母に救出され、徐々に精神的に癒され、一種のセラピーとして書き上げたのが原作のプロトタイプ。何度も書き直されて本として出版されたのが2003年である。主人公のサーシャは、怪しげな医者に山ほど病名をつけられ、最終的にはムコビシドーシス(嚢胞性線維症)と診断される。しかも、それを宣告したのはホメオパシーの医者。日本でも科学的に全否定されている異端の医学である。そうまでして孫を病気にし、その看病をすることに全精力を傾ける祖母。しかも、その祖母は、家族に罵詈雑言を吐き続ける醜悪な人物だが、真の悪者ではなく、心根には優しい部分もある。こうした複雑な家族関係の中で、結果的に奪われていくサーシャのあらゆる子供らしい日々。母、友達、学校、日常生活、楽しい食事やおもちゃ、そして誕生日までもが… これは、破壊的で衝撃的な映画である。原作は、少年の目から見た心情で綴られているが、映画は、祖母に焦点を当てて描いている。だから、少年は真の主役ではないが、この祖母の存在が、映画に凄まじいエネルギーを与えている。なお、映画の仮邦題をどうつけるかで悩んだが、結局、原題に近い『僕が死んだら幅木の裏に』とした。幅木とは、壁と床の間にある高さ10センチほどの板で、昔の本や漫画でネズミの穴が開いている場所でもある。祖父が罠をかけて捕らえたネズミの死骸を埋葬する際、主人公のサーシャが、「僕を埋めるなら、幅木の裏にしてね」と祖母に言うシーンからとられたもの。小説や映画の内容には直接・間接的に意味はない、と思う。

映画は、主として真冬の28日の1日の出来事を描いている(29日は7分、その数日後は4分)。若い頃、キエフでもてはやされた舞台の花であり、その時遭った無名の俳優と結婚してモスクワに出てきて以来40年、辛く悲しい思いをし続けてきた祖母。一方、その後有名になり、映画俳優として人民芸術家にまで登り詰めた祖父。その祖父に顧みられることなく、しかし、祖母が心血を注いで育てたにもかかわらず、結婚に失敗、酒びたりの男と同棲している母。そして、その母が産み、生後数年で祖母が取り上げ、6年間世間からシャットアウトした状態で育てられてきた孫。この4人が織り成す激しくも悲しく、心を打つドラマ。誕生日を間近にしたサーシャは、意図的か、隔離状態での運動不足が原因か、生来虚弱な体質が原因か、あるいは、祖母の「病気に対する極度に敏感な性向」が原因かは不明だが、多くの病気にとり付かれている。誕生日には小児科医の往診を受け、さらに、専門医(ホメオパシー医)の診察も受ける。その結果下されたのは、ムコビシドーシス(嚢胞性線維症)という死の宣告。当時の医療水準では平均寿命6-7歳、現代でも最大30歳と言われる難病である。この誤診の責任は、それまでにサーシャがかかった医者達が列挙した病状が、ムコビシドーシスの確定診断に使われる、①膵外分泌不全、②慢性副鼻腔炎と合併した感染性の気管炎、③胆汁うっ滞型肝硬変、などの要件と合致したからであろう。しかし、この「専門医」はピロカルビンイオン導入法による汗検査を行った形跡はないので、彼は、ただ単に可能性を指摘し、重病人の「好き」な祖母が騒ぎ立てただけ、というのが真相であろう。母は、この病名を聞いて動揺し、同棲相手は、「そんな子はあきらめて、自分の子をつくろう」と言いだす。一番のクライマックスは、サーシャの母親への愛に一瞬心を動かされた祖母と、来訪を許された母によるサーシャ争奪戦(29日)。そして、結果としての祖母の急死(心臓麻痺)。凶暴、傲慢、毒舌、強欲で嫌悪すべき祖母だが、映画の中で祖母が語る悲惨な人生を聞いていると、つい同情したくもなる、その難しい役どころをスヴェトラナ・クリュチコーヴァは見事に演じきっている。以下のあらすじ、及び、写真では、サーシャと祖母の場面を中心とし、母と同棲相手の場面はかなり省略した。

サーシャ・ドラビーチコは、映画の中のサーシャと同じ名前。淡いブロンドの髪に灰色の目をした華奢で可愛い8才の少年だ。映画監督が祖母を描くことに集中しているため、なかなか出番がないが、要所要所でサーシャの優しくて、母想いの性格を上手く演じている。8才としては名優だと思う。ただ、やはり小さいので、泣き叫んでしまう場面では、演技というよりは幼児そのものになっている。


あらすじ

映画は、祖父が子ネズミを捕まえた場面から始まる。「言ったろ。チーズで捕まえたぞ。オランダのチーズにひっかりおった。ロシアのじゃダメだった」。それに対し、「残酷ね! 何てことするのよ。なんで 殺したの?」と突っかかる祖母。「わしに 頼んだだろ」。「頼んだ? そんなこと頼むハズないじゃない! ちょっぴり痛みつけるだけかと思ってたら、真っ二つにするなんて。そんな小さなネズミを。大きかったら別だけど。幸せの真っ最中に、命を断たれちまった。もし、誰かが あんたの背骨を折ったら、どう?」。文句が多いようだが、いつもこんな調子だ。台所の日めくりは、26日のままにしてある。孫の誕生日が28日なので、28日にはしたくない。実は、今日が28日なのだ。そこで、1枚余分にめくって26日から29日に飛ばしてしまう。そして、おもむろに孫の部屋に行き、「起きて、ちびモンスター。もう8時だよ」と言って布団をはがす。外は極寒だが、室内は過剰暖房で暖かいから薄着だ。小さく縮こまっているサーシャ。おまるを見た後、寝汗とオネショをチェックする。そして、一喝。「起きて」。
  
  

起きてくると、サーシャはさっそく、「おばあちゃん、今日は何日?」と訊く。「バカでも分かるように、日めくりがあるだろ」。日めくりは29日になっている。難しい顔をして、それを見るサーシャ(1枚目の写真)。「今日って、29日なの?」。「顔洗ってないじゃない。急いで洗面所に行って!」と話題をそらす。そして、サーシャがタオルで顔を拭いていると、「このバカ! このタオルは、昨日 臭いじいさんが使ったんだ。歩きまわった後でだよ。もう一度 洗い直し!」。その後、祖父からネズミを見せられ、「もらっていい? 幅木の裏に置いてやるんだ」と訊くサーシャ(2枚目の写真)。「どこだって?」。「幅木の裏。一番 ふさわしい場所だよ。気持ちいいし、いつも僕が見ててやれる」。「バカな子だね。いっそ、お前をそこに入れときたいよ」と祖母。
  
  

そして、朝食。それを見て げんなりしたサーシャ。「どうして、毎日、おろしたリンゴなの?」。祖父:「バカな子だな。体のためだ。排泄物を解毒する」。「でも、どうして おろすの?」。祖母:「噛まなくてもいいからだろ、バカだね。飲み込むだけだから、消化しなくて済むし」「恩知らずの チビ助だね」「こんなに努力してやってるのに、文句たらたら」「お食べ!」「薬も 飲むんだよ」「最初に消化剤、それからビタミン剤。分かった?」。飲みたくなくて、薬をこっそり隠すサーシャ。すぐに見つかり、「血を全部飲んでやろうか、このクソ・チビ」「もう一度 やってごらん、このロクデナシ」「この手で 絞め殺してやるからね」と言って、口にねじ込まれる。薬を隠す方も悪いが、何とも恐ろしい叱り方だ。
  
  
  

少し話は前後するが、祖母に電話がかかってくる。誰だか分かった途端に、にやりと笑い、「いいや」という。相手は、サーシャの母で、恐らく、息子と会えるかと訊いたのであろう。そして、「プレゼントなんか、尻にでも つっこんどきな!」と怒鳴って、電話を切る。サーシャは、きっと母からの電話だったろうと思い、面白くない。
  
  

自室に戻り、ベッドの下から、宝物の箱を引っ張り出す。それにしても、何と汚いベッド下の空間なのだろう。映画というのは、こういう部分は普通ならきれいなのだが、このシーンでは、汚れに汚れている。だから、何かを動かす度に埃が舞い上がる(写真にも映っている)。重病の子だと信じきっているのなら、祖母も掃除くらいすればいいのにと思ってしまう。だって、洋服ダンスの中に隠れているサーシャを見つけた時は、「大バカ! 埃でアレルギーになる」と叱り飛ばすのだから。ところで、箱の中の一番大切なものは、古い母の写真。それにキスするサーシャ。誕生日なのに会えそうにないのだ。
  
  

祖母はあきらめて、祖父に直訴しようと考えたサーシャ。書斎に行って、「おじいちゃん、今日はどういう日?」と謎かけをする。「木曜だ」。「何日?」。「どうしてだ?」。「僕の誕生日、28日だから」。「誰から聞いた?」。「誰にも。去年から覚えてる。日めくりのページを、忘れないよう持ってるから」と言って、去年の日めくりを見せる。そして、「ママは、絶対、会いにくるハズだ」とも。祖父は、「知らないな。おばあちゃんに訊くがいい」と相手にしない。腹を立てたソーシャは、「日めくりを ワザと破ったよね」「そうすりゃ、誕生日が分からないし、ママにも会えない」と核心を突く。返事に困った祖父は、「それがどうした、生意気小僧!」「何様のつもりだ!」「出てけ!」と放り出す。だが、すぐに祖母にみつかってしまう。祖母:「ここで 何してるの?」。祖父:「今日が、何日か 訊きに来た」。「なんで?」。「今日は自分の誕生日で、ママが会いに来ると 言いおった」。祖母はサーシャに、「誕生日がいつかは、あたしが教える」と冷たく言い渡す。
  
  

そして、すぐに、「宿題は?」と訊く。宿題といっても、学校には一度も行かせてないので、自宅学習だ。「やったよ」。「おいで、確かめる」。そして、書いた文章を読む。「太陽が登る…」「なんで『登る』なんだ? このクズが。鞭で打たれないと、勉強しないのかい? この字を消す代りに、お前を消してやろうか? 二度目は これじゃ済まないよ。カミソリで 喉を切り裂いてやる」。そして、次の文章を読む。「バララ色の光を投げる…」「バララ?」。逃げ出すサーシャ。「逃げるな!」「来るんだ、スカンク」「来ないと、最悪だぞ」「カミソリで、刻んで欲しいのか」と鬼のような顔。次は、一気に表情を変え、「おいで、サーシャちゃん。チョコレートあげるから」「お前の鉄道模型用に、客車を買ってやろう」「もし 来ないんなら、買った客車を、お前の頭で叩き壊してやる」「いい子なら、来るんだ」。握りこぶしから親指を突き出して、抵抗の意思表示をするサーシャ。
  
  

それを見た祖母。「二度と 日の出が見られないようにしてやろうか」「ロクデナシ!」「なんで、おばあちゃんを 苦しめることしか考えないんだ?」「お前の母に言い続けた。『勉強しろ、自立しろ』と。お前にも言ってきた。全くの無駄! 2人ともそっくりだ」「依存してしか生きられないクズだ!」。強烈な顔が 画面いっぱいに広がる。そして、「生きてる限り、そこがお前の居場所だ」といって、学習机に座らせると、持っていたハサミを机に突き刺す。ハサミを見るサーシャの表情が哀れを誘う。ここまでくると、これは児童虐待に近いのではないか。
  
  

女性の小児科医が往診に来る。聴診器を当てている医者に、祖母が「気管支炎?」と訊く。「ええ。あなたは、どんな医者より詳しいわ」と女医。祖母がクチをこぼす。「ああ、先生、この子は犠牲者なのよ。諺にあるでしょ… 『親の因果が子に報う』。この子は、あばずれな母親の罪を背負ってるの」。サーシャが服を着ると、今度は喉を診察。「赤い?」。「ええ。扁桃腺が腫れてる」。医者が帰った後で、必死のサーシャは、応接間の入口に跪いて祖母に懇願する。「お願い、今日は僕の誕生日やってよ」「元気だし、宿題 全部やったし、ベッドの下には、もう何も隠してない」。祖母:「お立ち」「床に跪くんじゃない」「母親みたいに 卑しく振舞うんじゃない。あの酔っ払いの足を舐めるもんだから、くっついて離れんのだ」「何で誕生日がやりたいか、知っとるぞ。ママに会いたいんだろ?」。「ぜんぜん。他のみんなみたいに、誕生日のプレゼントが欲しいだけ」「ママには会いたくない。会いたそうに見える?」。「それ本当かい? 嘘付いてない?」。「ホントだよ」。しかし、結局は、「覚えときな。嘘を付いてる人間は、おどおどする。血管が縮んで、顔が赤くなり始める。良心のとがめが流れ込むからさ。今のお前がそうだ」と相手にされない。そして、これから専門医の診察に連れて行くと言われる。
  
  

外はマイナス25度にもなるので、祖父が車のエンジンをかけようと〔暖房のため〕、一足先に出かけようとする。その時、診察代に使う「たんす預金」を探していた祖母が、ガラス瓶の中をさぐりながら、「300ルーブル見た?」と尋ねる〔当時は固定相場なので230ドル。230ドルは当時5万円くらい。そして現在の物価に換算しても約6万円。給与水準が違うので、単純な比較はできない〕。「わしの仕事は、お前さんに金を渡すことだ」「いつもは 本に隠してたんじゃなかったのか」と祖父。「本に500、ビンに300さ」と祖母。そして盗みの疑いを、数日前に来た配管工に向ける。その時、サーシャが、「おばあちゃん、犬に隠したよ」とアドバイス(2枚目の写真)。「どの犬だい?」。「台所の 陶器の犬」。そこには、400ルーブル入っていた。しかし、それは別口で、300ルーブルは紛失したまま。今度は、さっき来た女医に疑いをかける。「殊勝な顔した、クソ女」「変だと思った、何で 洗面で手を洗わずに、台所に行ったか」。祖父は、呆れて、「ニーナ、銀行に預けたらどうだ。それなら 安心できる」と勧める。「あたしに 安心して欲しい? 長く待たなくていいよ。若い女とヤリたいんだろ? 大金 貯め込んで… あたしが死んだら、アレも大きくなって欲しいんだろ? だけど、インポに効く薬なんか ないんだよ」。呆れた御仁だ。こうも口汚く罵っていて、何が楽しいのかと思う。そんな祖母だが、サーシャが、「ネズミを持っていこう。埋めてあげようよ」と言うと(3枚目の写真)、「いい考えだ」と賛成する。
  
  
  

映画ではもっと前から登場していたが、このあらすじでは、母と同棲相手〔サーシャの祖父にとっては娘〕がここで登場する。祖父が車に乗り込んでエンジンをかけると、ヒーターが動かない。どうしようかと困っている時、娘と、目の敵の男が目の前に現れる。母は、今日が息子の誕生日なので、何とかプレゼントを渡そうと、アパートの前で待っていたのだ。「何で 来たんだ? こんな野郎と一緒に」とつれない祖父。その時、車のトランクの鍵が開かなくて困っているのに気付いた男が、「凍った? 俺がやる」と申し出る。この時、ちゃんとやっていれば、ひょっとして許してもらえたかもしれないのに、この男は、息を吹きかけてもダメだと悟ると、何と鍵穴に向かって小便をかけ始めた(1枚目の写真)。それに気付いた祖父は、「何を… しやがる、この野郎!」と喰ってかかる。男の言い分は「凍った時には、みんなこうするんだ」。しかし、許可を取ってからするのが筋だろう。トランクは開いたものの、「殺してやる、この野郎」と祖父の怒りは収まらない。男は、「家に帰るぞ、行こう」と娘を引っ張るが、娘は「パパ」と言ってすがりつく。その娘を、「わしに触るな、あばずれ!」と地面に押し倒す祖父。愛人に対する扱いに腹を立てた男が怒鳴りまくる。すると祖父がさらりと暴露する。「わしの金で暮らしとるくせに、無礼なことを言いおって。酔っ払いの ごくつぶしめ」。「いったい何の話だ?」。「お前が、住んだり飲んだりする金のことだ」。都合が悪くなったので、帰ろとうする娘に祖父が追い討ちをかける。「言っとらんのか? 毎月100ルーブル送ってやっとると」。男は、「本当なのか?」と真剣な顔で娘に訊く(2枚面の写真)。祖父:「そのコートだって、わしの金で買ったものだ」。暴露され、非難され、頭に来た娘。極寒の中なのに、コートを脱いで祖父に投げつける。
  
  

2人は去り、代りに、祖母とソーシャが出てくる。娘のことは伏せておき、「ヒーターが壊れた。直らんのだ」と話す。祖母:「気は確かかい、この老いぼれ。こんな冷凍庫の中に、この子を入れるつもり?」。さすが、舌鋒は鋭い。祖父:「じゃあ、診察をキャンセルしよう。修理店に行って、ヒーターを直してくる」。祖母:「キャンセル? 予約するのに6ヶ月も待ったのに、キャンセルだって? クソじじい! あんたを永久にキャンセル〔抹殺〕してやる! 畜生、この間抜け! 呪われちまうがいい、天にも神にも鳥にも魚にも」。これだけまくし立てると、サーシャに、「お入り、このノロ子豚」「さっさと入って、おばあちゃんの膝に座るんだ」。そして、車にも、「裏切り者の車め。黒い車なんて… 邪悪な色なんだよ。1937年の大粛清の時も、黒い車が使われたっけ」。この人物、文句を言う事に生きがいを感じているとしか思えない。車中に入ったサーシャは、さっき母が捨てていったコートに気付く。「これ、ママのコートだ」。それからが大変。祖父に向かって、「ママを殺して、コートを取り上げた!」「ママが来たのに、会えなかった!」と泣き叫ぶ。娘のコートが車の中にあることに疑問を持った祖母が理由を正すと、「わしが、渡した金で買ったんだ」と答える。そうなると、今度は祖母の大反撃。「何てこと、あたしが 自分のものは何も買わず、倹約に倹約し、この子の薬代と医者代を工面してるのに、あの、あばずれに羊の皮のコートだと!」。サーシャの方も、「ママが来た。ママが かぜ引いちゃう! コートを取り上げて、ママを凍死させるつもりなんだ! もう、僕のおじいちゃんじゃない。人でなしだ!」とさらにヒートアップ。祖父も、「メス犬の子め。お前こそ、恩知らずの人でなしだ」と激しく叱る。何という一家!
  
  

ホメオパシーの医者の診察室。医者が、「サーシャ、なぜ、こんなに痩せてるんだね?」と訊くと、「僕、重い病気なんです。病原性ぶどう球菌に感染してます。蝶形骨洞炎、静脈洞炎、前頭洞炎、慢性扁桃炎、膵炎、遺伝性膵炎、腎不全、それに、肝臓が悪いそうです。病名は忘れましたが」。「いっぱいだね」。「病気は、ふしだらな母への贖罪なんだそうです」。ここで、祖母が自慢げに割り込む。「どうです。まだ小さいのに、理解してるでしょ。母親は、この子を捨てて、酒びたりのへぼ絵描きと交換したんです。あたしが6年間、面倒を見てきました」。診察が終わり、サーシャに「ロビーで待ってなさい。おばあちゃんと 話がある」と次げる医者。この間に、ムコビシドーシスの可能性が指摘されたのであろう。祖母は衝撃を受ける。
  
  

祖父の車でアパートに帰る途中、サーシャが、「おばあちゃん、ネズミを埋葬してやろうよ」と言い出す。そして、公園の脇に車を止め、祖母と2人で雪の中にネズミを埋める。祖母は、「左手でお墓に雪を入れておやり」と教える。「どうして?」。「それが埋葬の流儀なのさ。あたしの葬儀の時にも、忘れずにやるんだよ」。そして、お墓に木の枝を差した後、祖母が、気の弱い発言をする。「イエス様。なぜ、この子を苦しめなさる? サーシャの病気を、全部 あたしに移して下さい。この子の好色な母親に 呪いあれ。この子が苦しんだように、いつの日か苦しむことを、切に願います」。この言葉が出た背景には、先ほどの病名の宣告があった。その時、サーシャが、「僕、雪の中に埋葬されたくない。幅木の裏にして」と言う。これが原作と映画の題名になっている。
  

家に帰った祖母は、さっそく祖父に向かって、「教授に、電話をかけてちょうだい」と頼む。「あんたの孫が、ムコビシドーシスだと分かったの」。相手は、カーリッシュ教授。ムコビシドーシスの専門家だ。「診察を受けるのには、1年前の予約が必要なの」「何を約束してもいい… 特別な場所での私的上映の切符、黒海の高級リゾートへの旅行券、おだて上げてでも、今週中に診察を受けさせて」。祖母の必死さが分かる。診察の結果が気になった母は、こっそり父に電話をかけ、病名を聞き出す。「あの子、ムコビシドーシスだって」。同棲相手:「そりゃ、何なんだ?」。「よく分からないけど、何かぞっとするわ」。さっそく、女友達に頼んで医学事典を見てもらう。同棲相手の男が、最悪のタイミングで最悪のことを口に出す。「俺たちの子供を持とう。健康な子供がいい。『黄金の鍵』(1982)も買ってやろう。感染症の参考書なんかじゃなく」。当然、顔面を思い切りひっぱたかれる。友達からの電話で詳しいことを知り、愕然とする母。「最も深刻な感染性の病気」「事実上 不治である」。電話で聞き取ったメモを男に投げつける。男:「最悪だな。どうなるんだ? 死んじまうんか?」。母は、その言葉で男に飛びかかる。今度は、彼も負けてはいない。「お前が 自分で言ったんだぞ、『不治』だと!」。息子に会いに行こうとする母と、男との口論が続く。行ってもどうせ入れてくれないというのが男の主張だ。そして、最後に、「サーシャにとっては、あっちで暮らした方がいい」と言い出す。母:「私に、息子のことは 忘れろと?」。そして、男の次の決定的な言葉。「自分で決めるんだ。病気だらけの この子がホントに必要なのか? このキチガイ婆さんみたいに、ちゃんと世話ができるかどうか?」「他の途もある」「別れよう」「家族の元に 帰れ」「すべての問題は ひとりでに解決する」。この、いわば最後通牒に対し、母は、「私がどう決心しようと、子供を渡してはもらえない。関係ないの… 私たちが 別れても 一緒でも。何だかんだって、理屈を並べてくるから」「私を憎んでるの。私をよ」〔つまり、男とは別れたくないのだ〕。
  
  
  

祖母が、サーシャにカモミール入りの浣腸剤を注入する。重病扱いされ、辛い思いをするのはサーシャだ。それでもサーシャは、祖母に尋ねる。「正直に答えてよ。今日は 僕の誕生日だったの?」。祖母:「またかい? なんべん同じことを。誕生日はね、健康な子だけにあるの。健康な子だけよ。お前は、健康かい?」。「ううん」。「だったら、何も期待できないね」。「じゃあ、僕には誕生日はないの?」。「ないよ」。何と悲しい会話だろう。さらに、祖母は、母の同棲相手を殺人者と呼び、「あたしたち全員に死んで欲しいの」と話してきかせる。よく分からないサーシャは、「僕が死んだら、何の得になるの?」と訊く。「何にも。何も持ってないだろ。あるのは、診断書だけ」。「なら、どうして死んで欲しいの?」。「お前が死んだら、あたしも死ぬ。そしたら、お祖父ちゃんも死ぬ。そしたら、ここに乗り込んで来て、何もかも 売っ払う」「あいつにとって、お前は邪魔者なの」。「それで、ママは?」。「お前のママは、あいつのいいなり。ぐるなのよ」「あたし達は、無用の存在なの、サーシャ」「周りにいるのは、裏切り者だけ。お前もあたしも、騙されたのよ。お前のママは、お前を殺人者と交換したし、お前のおじいちゃんは、あたしの人生を台無しにした」。そして、自分の若い頃の話を始める。「あたしは 女優だった。キエフの全市民が、あたしに憧れて、劇場に来たものさ。『ウクライナの演劇界の希望の星』だった」。醜悪な老婆の意外な一面が初めて明らかになる。キエフに公演にきたモスクワ芸術劇場所属の無名の俳優でしかなかったハンサムな男性と恋に落ち、結婚し、モスクワに行ったこと。「あいつは、モスクワの9平方メートルしかない部屋に連れてった」〔日本流に言えば五畳半〕。「アパートに移るまで、14年間そこで暮らしたの」〔14年は長い〕。
  
  
  

サーシャの浣腸がようやく終わり、祖母は後片付けをしながら、独り言のように自分の人生を語り始める。一方、サーシャは、祖母の話から母にも危険が及ぶと思い込み、こっそり抜け出して、母に知らせに行こうとする。その2つが平行して進むシーンだ。祖母の過去を聞かせるだけでは、単調になってしまうので、サーシャの決死行と重ねることで、映像に緊迫感を持たせる見事な脚本と言える。以下のあらすじでは、まず、サーシャの行動を写真4枚で紹介し、続いて、祖母の話の要点をまとめて紹介する(写真なし)。サーシャは祖母が部屋から出て行くと、ベッドの下の宝箱を取り出し(1枚目の写真→あまりの埃で咳をして、慌てて口を押さえたところ)、次いで、本の中に隠してあった500ルーブル(2枚目の写真)を宝箱に入れる。ここで、電話がかかってきて、祖母の長電話が始まる。サーシャは電話帳で母の住所を調べると、今日外出した時と同じように完全防寒し、何重にも鍵の付けられたドアを開け(3枚目の写真)、街路に出て行く。そこに停まっていたタクシーで母のアパートまで行こうとするが、サーシャの見せた大金に運転手が不審を抱き、乗車拒否。一人雪の積もる極寒の歩道に取り残されたサーシャ。さっきの浣腸と極度の寒さから激しい腹痛が襲い、礎石に寄りかかってひたすら泣き続けるサーシャ(4枚目の写真)。ズボンの中は下痢でべたべただ。悲惨としか言いようがない。そこに祖父が帰宅する。一人で泣いている子がサーシャだと気付き、「ここで、何やっとる? おばあちゃんは?」「何だ この臭い? おもらし したのか?」。そして、急いで部屋まで連れて行く。部屋では、長電話を終えた祖母が、サーシャがベッドにいないことに気付き、ベッドの下や、衣装ダンスの中を調べている。その時、サーシャが入って来る。祖母:「どうしたの? どこにいたの?」。祖父:「街路で倒れてた」。祖母:「この悪臭は何なの? このバカ。浣腸したのに。風呂に入れるから、裸にして」。ここから先は、次のあらすじへ。これ以下は、長電話で祖母が話した内容の要約。①モスクワに住み始めてしばらくして、長男アリョーシャが産まれる。1歳を過ぎた時に対独戦争が始まり、1941年、モスクワが空襲を受ける。舞台俳優は 全員アルマ・アタ(カザフスタン)に避難することになったが、戦争映画の撮影に参加する予定の夫は同行せず、赤ん坊と2人で先に行けと命じる。しかし、キエフではスターだった彼女だが、避難先では劇団員でもないことから、土の床しかない地下室に入れられ、溺愛していた息子がジフテリアと麻疹にかかり、さらに、肺に膿瘍ができて死亡してしまった。②地下室を追い出され、夫の撮影地に行き、医者に診てもらうと、二度と子供は産めないと言われるが〔その時23歳〕、数年して娘を出産した〔サーシャの母〕。自分はパンと水しか食べないような貧しい生活の中で、娘には少しでもまともなものを食べさせて育てたが、その間、夫は子育てには全く無関心だった。③娘が6歳の時に感染性黄疸にかかり、その介抱で彼女が弱りきって意気消沈していた時、ふさぎ込んでいたのを鬱病扱いされ、保養センターだと騙して精神病院に入院させられ、薬漬けにされた。④母について、「あの子は 女優になった。卒業すると、すぐに、地方のやくざ者と結婚した。そして、病気の子を産んだ。それから、酔っ払いの絵描きとひっつきおった」。⑤サーシャについては、「あの子をお風呂に入れると、疲れてるから、お湯なんか替えていられない。だから、あの子の湯に入るの。湯は汚いわよ。1週間に2回以上は 風呂に入れられないから。でも、気持ち悪くなんかない。あの子が 入ったと知ってるから。あたしには、泉の水と同じなの。飲むことだってできる。これほど 誰かを愛したことなんかない」。①から⑤まで話を聞いていると、祖母に同情したくなる。ただ、最後に、「寝てる間に お漏らししても、あたしは怒らない。笑うだけ。もちろん、罵るけど、それは怖がらせるためよ。がけど、後で、そんな自分を責めるの。こんな愛し方って、罰するより悪いわね」という部分は、精神的な異常(③)が治っていないことを疑わせる。
  
  
  
  

サーシャを素っ裸にして全身を洗う祖母。「何てバカなの。39.4℃も熱があって、外へ出るなんて。凍死したかもしれなかったのよ、このキチガイ!」。その時、浴槽に浮かんでいるお札に気付く。「これは 何?」。「タクシー代だよ! こんな寒いのに、歩くと思うの?」。「お前が母親から受け継いだのは、バカさ加減だけじゃなく、こそ泥もなんだね! この泥棒!」「お前は、病気で死ななかったら、刑務所で死ぬのさ」(1枚目の写真)。そして、祖父にお金を拾わせる。「センヤ、お金を拾って!」。「クソまみれじゃないか」。「ウチらは、そんなにきれいで、清潔な人種かね! クソぐらい きれいに洗い流してやるよ」「これまでだって クソと一緒に生きて来たし、死ぬ時もクソと一緒さ」「ガキを出して、拭いとくれ」。祖父は、サーシャを拭きながら、「恥ずかしくないのか?」と叱る。「おばあちゃんは、お前のために懸命にやってきた。その恩返しに、追っ払った敵の元に走るとは!」。それに対し、サーシャは、「助けるためだよ。おばあちゃんが言ったんだ。酔っ払いがママを殺そうとしてるって。財産を、自分のものにするために」(2枚目の写真)。それを聞いた祖母は、「あたしの坊や。可愛い子。今までのこと、許しておくれ。母さんにしたことも。自分の母親を守ろうとしたんだね。何ていい子だ。母親は裏切り者なのに、この病気の子は 助けようとした!」。そして、笑顔で、ただし、サーシャの発言は無視して、「面白いじゃないか。あいつら、あたし達が死ぬのを待ってるんだ」と話しかける(3枚目の写真)。
  
  
  

その夜、サーシャに、「誕生日おめでとう」と大きなプレゼントを渡す祖母。「おじいちゃんがフィンランドで買ってきた日本製のテープ・レコーダーだよ。信頼性が高い」。嬉しそうに箱を抱くサーシャ(1枚目の写真)。そして、テープをかけ、祖母が楽しそうに踊る(2枚目の写真)。その音を聞いて、祖父が部屋に飛び込んで来る。「誰が 許可した?」。「サーシャの誕生日だから、2人からだって、あげたの」。「これは、わし専用のテープ・レコーダーだ。一生に一度くらい、自分だけのものがあっていいだろ? お前は、何だって取り上げちまう」。「返しなさい、このくそったれ! 渡せって、言ってるの! 病気の子から、プレゼントを取り上げるつもり? いつも あたしをクソ扱いして!」。ここで、祖父の怒りが爆発。祖母を張り倒すと、「もう お前とは二度と会わん、このクソ女め」と言い残してアパートから出て行く(3枚目の写真)。「ケガした、おばあちゃん? 泣かないで、お願いだから」と、自身泣きながら頼むサーシャ(4枚面の写真)。そして、深夜、母の元に祖母から電話がかかる。明日、息子に会わせるという電話だ。
  
  
  
  

翌29日。背広を着せられたサーシャ。祖母は、「いいかい、よくお聴き。あの子は、あたしがお前を取り上げたと言うだろう。もし、またそんな嘘を言ったら、お前は返さない。その時は、こう言うんだ。『僕は おばあちゃんと住みたい。ママじゃなく、おばあちゃんの方が ずっといい』と。ちゃんと 言える?」「お前に尽くしてきた おばあちゃんを、裏切らないね?」。「裏切らない」(1枚面の写真)。と、サーシャに約束させておいて、母と会わせる。祖母がチーズを取りに行った隙に、母に抱きつくサーシャ。「ママ、匂いが違うよ」。そして、隠してあった香水を取ってくる。「これがママの匂いだよ」。痛ましいシーンだ。「熱があるの?」と訊かれ、「すぐ良くなるよ。お医者さんが、お薬くれたから」(2枚目の写真)。「おもちゃの貨車ありがとう。ずっと欲しかったんだ」。「ありがとう。優しいのね」。「なぜ 泣いてるの?」。「会えて嬉しいから。寂しかった?」。「うん」(3枚目の写真)。まさに、薄幸の天使の微笑みだ。
  
  
  

祖母が戻ってきてからの一大決戦。まず、母の額のシミを見つけて、「額のシミは何だい?」。「日焼けして、シミができたの」と答えると、「日焼けのシミには見えないね。絶対、腫瘍だよ」。いつもの癖が始まる。サーシャをムコビシドーシスにしてしまった発想だ。ここで母が頼む。「私のコート、返してもらえない? 何も着るものがないの」。それに対し、祖母が取った行動は、「コートなら、ここにあるよ、お嬢さん」と言って、2人の前で、後ろを向いてお尻を丸出しにしたこと。「子供の前で、よくそんなこと できるわね? 異常よ!」。「それで結構。その子のおばあちゃんの尻だ。尻軽のじゃない」。そして、母が誕生日にと持ってきたプレゼントを、「尻軽女が買ったものだね」と言って取り上げると、窓を開けて投げ捨てようとする。走って行って祖母の腕をつかみ、「おばあちゃん やめて! 僕にちょうだい!」と叫ぶサーシャ(1枚目の写真)。そして、病気のハズの子を跳ね除けて、窓から捨てて笑う祖母。やはり、精神的に異常があるとしか思えない。母は、「もう限界、我慢できないわ!」と実力行使に出る。「サーシャ、服を着て」「この子は 連れてくわ! 連れてくわよ、聞いてるの?」「サーシャ、持ち物はどこ? コートはどこ? この狂った年寄りと、一緒にいなくていいの! ママと一緒に住むの! ママと行きたいでしょ?」。祖母は、サーシャの腕をつかむと、「放すんだ、あばずれ。育児放棄したくせに! 渡すもんか! ここから、出てけ!」と怒鳴る。母も、「全部 取り上げたじゃない! 持ち物も、息子も! この子の愛も取り上げるの?! こんなとこに、置いておくもんですか!」。サーシャの手を引き合っての争奪戦となる。泣き喚くサーシャ(2枚目の写真)。祖母(母に):「あたしの子だよ!」。祖母(サーシャに):「言うべきことを言わんか、この裏切り者!」。そして、怒りのあまり心臓麻痺を起こして倒れる(3・4枚目の写真)。
  
  
  
  

最後は、祖母の埋葬シーン。参列者は、祖父、母、サーシャ、母の同棲相手の4人のみ。葬儀屋に「お別れを」と言われ、サーシャも、以前祖母に教えられたように左手で土をすくって穴に入れる。最後にソーシャが母に囁く。「ママとトーリャは、これからおばあちゃんのアパートに行くんでしょ?」「おばあちゃんのお金は、ゴーリキー全集の4巻と10巻と16巻、古いティーポットの中、それに、お米の袋に隠してあるよ」。サーシャの、母に対する精一杯の愛情表現だ。それとも、祖母に対する最後の復讐か。
  
  
  

     S の先頭に戻る                    の先頭に戻る
     ロシア の先頭に戻る                2000年代後半 の先頭に戻る

ページの先頭へ